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『特権なんて持っていない、だって私は平凡だから』



 

 あなたが持っている「特権」を、できるだけ多く挙げてみてください。

 突然そう告げられたら、どう感じるでしょうか。

 

 自分は平凡だから、「特権」なんて持ってない?

 そもそも「特権」ってなんだろう?

 プライベートジェットを買ったり、お城のような家に住んだりできるくらいの莫大なお金があること?

 有名な政治家や、芸能人だけが持っている特別なもの?


 答えはNoです。

 あなたが自分を「平凡」だと思っていても、実はたくさんの「特権」を持って生活している可能性は十分にあります。


 確かめるために、次のリストに目を通してみましょう。(ここでは日本に居住している人を想定します)


 【マジョリティ性】

  ・日本人

  ・高学歴

  ・健常者

  ・男性

  ・異性愛者

  ・シスジェンダー(身体と性自認が一致している人)

  ・高所得

  ・大都市圏在住


 【マイノリティ性】

  ・人種・民族的マイノリティ(外国人、在日コリアン、アイヌ民族等)

・低学歴

  ・障がい者

  ・女性

  ・同性愛者・バイセクシュアル・パンセクシュアル等

  ・トランスジェンダー・Xジェンダー等

  ・低所得

  ・地方在住



(東京人権啓発企業連絡会、2022)



 それぞれのカテゴリーの中で、自分に当てはまるものにチェックをつけてみてください。

 どの項目が何点、などと点数をつけることはできませんが、【マジョリティ性】にあてはまるものが多ければ多いほど差別や偏見を経験することが少なく、日々の生活はより困難の少ないものであると考えられます。

 

 このマジョリティの人々が持っているのが、先ほど述べた「特権」です。ここでのマジョリティという語は数の問題ではなく、社会の中でより優遇されやすい集団を指します。

 反対に、【マイノリティ性】にあてはまる項目が多ければ多いほど差別を経験する可能性は高くなり、心身の健康、就学や就職の機会、その他人生における様々な選択の機会において、より不利な状況に立たされることはほぼ間違いありません。

 

 リストをチェックした後では、「特権」というものに対する見方が少しだけ変わったのではないでしょうか。そう、「特権」には様々な種類があるのです。簡単に思いつくのは経済的なものですが、そのほかにも人種や性別、居住地域など、多くの観点が存在します。

 

 また、このテーマを考えるにあたって、マジョリティとマイノリティの差は必ずしも膨大なものである必要はありません。例えば私や私の家族は莫大な資産を持っているわけではありませんが、経済的にそれほど困ることなく大学に通えているということだけで、そうでない人たちとの比較の中では十分経済的マジョリティに属するといえます。

 

 要するに、特に自分のことをお金持ちや有名人だとは感じていなかったとしても、程度の差はあれ多くの人が無自覚に「特権」を持って暮らしているということなのです。


 ここまでの流れを追ってみた後で、このテーマについてよく述べられる「結論」を一つ挙げてみましょう。それはとても単純なことですが、「要するに、みんなマジョリティであり、マイノリティなんだ」というものです。この言葉はたいてい「だからみんなで尊重しあい、お互いへの思いやりを持って暮らそう」というような抽象的なセリフとセットになっています。

 

 みんながマジョリティで、マイノリティ。この考えは一見、理にかなっているように見えます。確かに「特権」には多くの種類があり、そのありとあらゆる種類を完全に手にしている個人を想定するのは難しいかもしれません。

 

 例えばヴィクトリア朝の上流階級の女性は、労働者階級と比較するときわめて裕福な恵まれた暮らしをしていました。この時代のヨーロッパの上流階級というのは白人に限定されていましたから、人種という点でも圧倒的なパワーを持つマジョリティに属します。しかし一方では彼女たちは、つつましく男性を支えるべき存在たる「女性」として、家の長である父親や夫に従わねばなりませんでした。上流階級に属するマジョリティである彼女たちが、ジェンダーという面では弱者であった、そう述べることは可能です。


 では、みんながマジョリティでマイノリティだと考えると、特権の数を数えあげてみるなんていうことは時間の無駄?

 

 いいえ、そんなことはけしてありません。ここで重要なのは、人種やジェンダー、セクシュアリティ、所得などの面でのマイノリティ性は「多ければ多いほど」その人が社会の中で困難にぶつかる確率を高いものとするということです。


 このような現象をとらえようとする概念に、「インターセクショナリティー」というものがあります。一つのマイノリティ属性を持っているだけでも困難は起こりえますが、黒人のレズビアン女性、というように複数のマイノリティ属性が交差する「交差点」に立つ人々はさらに多くの壁に直面するのであり、私たちはこのことを常に心に留めていなければならないのです。


 フェミニズム運動について語るうえでも、この考えを理解することは欠かせません。フェミニズムにおいてはマイノリティである女性同士が互いに連帯することが呼びかけられますが、実際には女性の間にも様々な格差が存在しています。貧困層の女性は富裕層の女性も多くの差別を経験し、レズビアンの女性はヘテロセクシュアルの女性よりも多くの偏見にさらされます。それを無視して「みんな同じ女性として同じ困難を経験してきた」とひとくくりにしてしまうことは、時に危うく暴力的なことです。


 もしフェミニズムを掲げながらインターセクショナリティーについて理解しようとしなければ、フェミニズムは「女性(で人種的マジョリティで高学歴で健康で障がいがなく異性愛者でシスジェンダーで高所得で都市に住んでいる)のための」、括弧つきのフェミニズムになってしまうでしょう。私たちは自分自身の持っている特権と、インターセクショナリーという概念を正しく理解することによって、それを防がなければいけません。


 もしあなたが自分を「平凡」だと感じているならば、チェックリストに目を通すことはその初めの一歩になるのです。(2474文字)

 

(参考文献)

 東京人権啓発企業連絡会 2022年 ひろげよう人権

 https://www.jinken-net.com/close-up/20200701_1908.html

 閲覧日;2022年4月16日


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